STORY 03
失ったあとも、
人生は終わらなかった。
テレビドラマが終わっても、
人生はそのまま続いていった。
店を閉じ、失敗も重ねた。
それでも会社へ行き、仕事を続けた。
そして気がつけば、あの当選から20年。
40年近く続いた会社員生活にも、終わりが来た。
60歳。
ここまでの物語は書ける。
けれど、この先のことはまだ分からない。
2008 — NOW
12
物語の、そのあとにも、
人生は続いた
テレビドラマが終わったあと、自分はまた会社員としての日常へ戻った。
世間から見れば、ロト6が当たり、本が出版され、その本がテレビドラマになったところで、一つの物語は完結したように見えたかもしれない。
けれど、自分の人生には、そのあとも長い時間が残っていた。
2008年から、会社員を終える2025年まで。
17年。
振り返れば、ずいぶん長い。
その間、何も起きなかったわけではない。
始めた店を閉じることになった。
人間関係でも失敗した。
株やFXなどの投資でも、思うようにはいかなかった。
うまくいったこともあれば、判断を間違えたこともある。
そして気がつけば、あれほど大きかったはずのお金も、ずいぶん減っていた。
このあたりの話は、これまで本の中でも書いてきた。
一つひとつをここで詳しく振り返れば、それだけでまた別の長い話になる。
けれど、60歳になった今、そこを細かく並べたいとはあまり思わない。
失敗した金額や、誰が悪かったのかを振り返ることよりも、今は別のことの方が気になる。
3億2千万円という大きなお金を手にしても、人間そのものが急に賢くなるわけではなかった。
判断を間違えることもある。
欲が出ることもある。
自分なら大丈夫だと思ってしまうこともある。
お金があれば、選択肢は増える。
けれど、
選択肢が増えることと、正しい選択ができることは、まったく別の話だった。
これは、大きなお金を持ってみなければ分からなかったことの一つかもしれない。
そしてもう一つ、後になって分かったことがある。
自分は、ロト6が当たったあとも会社を辞めなかった。
当時、それを特別に賢い選択だと思っていたわけではない。
ただ、それまでと同じように会社へ行き、技術者として働き続けただけだった。
けれど、いろいろなことがうまくいかなくなったとき。
その普通の生活が、自分を支えていた。
毎月、給料が入る。
朝になれば、行く場所がある。
仕事をすれば、自分の役割がある。
ロト6が当たったこととは関係なく、自分は技術者として働くことができた。
それは、後から考えれば大きなことだった。
大きなお金は減っていった。
店もなくなった。
思い描いていた通りにならないこともたくさんあった。
それでも、
会社員という日常だけは、最後まで残っていた。
人生には、何か大きなものを手に入れることよりも、簡単にはなくならないものを持っていることの方が大切な時がある。
自分にとって、それが仕事だったのかもしれない。
ロト6で3億2千万円が当たったことは、確かに人生を大きく動かした。
けれど、その後の自分を長い間支えたのは、もっと地味なものだった。
月曜日になれば会社へ行く。
そんな普通の生活だった。
そして、その会社員生活にも、やがて終わりが近づいてくる。
定年まで、あと一年ほど。
その頃、自分はそれまで長い間避けてきたことを始めた。
自分の顔を出して、発信することだった。
13
顔を隠していた自分が、
顔を出した
長い間、自分は久慈六郎という名前で発信していても、顔を前面に出すことは避けてきた。
本を出版し、自分の人生をもとにしたテレビドラマまで作られた。それでも、自分自身が顔を出して話すことには抵抗があった。会社員だったことも大きい。仕事では取引先もあるし、職場の人間関係もある。わざわざ自分から「この人が、あのロト6の人です」と知らせる必要もないと思っていた。
それに、ロト6で大きなお金を持った人間だと知られることへの警戒心も、どこかにあったのだと思う。
大金を持っていると知られれば、何か面倒なことに巻き込まれるかもしれない。そういう不安は、当選直後だけではなく、その後もしばらく残っていた。
ところが年月が過ぎ、いろいろな失敗を重ね、気がつけば当時のような大金を持っているわけでもなくなっていた。
皮肉な話だが、それによって少し気持ちが楽になった部分もある。
もう「3億円を持っている人間」として狙われるようなものでもない。
言ってしまえば、以前より怖いものが減った。
そんな頃、ナムと付き合い始めた。
彼女はFacebookなどでも普通に顔を出していたし、自分のYouTubeにも少しずつ登場するようになった。一緒に動画に出てもらっているのに、自分だけが顔を隠している。それがだんだん不自然に思えるようになった。
本当は、自分自身も顔を出したかったのだと思う。
どうせ発信するなら、できるだけ包み隠さず、自分が何者なのかも含めて見せたい。そんな気持ちは以前からあった。
もちろん、そこには承認欲求もあった。
本を書いた。テレビドラマにもなった。YouTubeもやっている。
それなら、「自分自身を見てもらいたい」という気持ちがまったくなかったと言えば嘘になる。
ただ、いきなり自分から、「今日から顔を出します」と言うのも、何となく照れくさかった。
そこで、自分なりにきっかけを作ることにした。
YouTubeのチャンネル登録者が1000人を超えたら、顔を出します。
そう宣言した。
視聴者との約束でもあったが、自分自身の背中を押すための理由でもあったのだと思う。
そして実際に登録者が1000人を超えた。
約束した以上、顔を出すことにした。
最初はやはり少し気になった。
会社の人に見つかったらどう思われるだろう。取引先の人に知られたら、仕事に影響するだろうか。街を歩いていて、「久慈さんですよね」と声をかけられるようになったら面倒かもしれない。
実際、取引先の人の中には、自分が久慈六郎だと気づいた人もいた。
けれど面白いことに、本人に直接言ってくる人はほとんどいなかった。
あとになって、「あの人、知っていたみたいだよ」と聞く。
人というのは、案外そんなものなのだと思う。
こちらが考えているほど、他人はこちらのことを気にしていない。
街を歩いていて声をかけられることもほとんどない。
その後、職業訓練校へ通うようになってからも、最初のうちは自分が久慈六郎だと気づかれることはなかった。
顔を出す前は、「顔を出したら、いろいろ変わるだろう」と思っていた。
けれど実際に変わったのは、日常生活ではなく、発信する側の自分だった。
顔を出したことで、自分の言葉として話せることが増えた。
「この人が、この人生を歩いてきた」
と伝えられるようになった。
そして、それからテレビやメディアから取材を受ける機会も増えていった。
おそらく、顔が見えることで相手にも安心感が生まれたのだと思う。
YouTubeを見れば、どんな人間なのか、どんな話し方をするのかが分かる。
「この人なら話を聞いてみたい」と思ってもらいやすくなった。
顔を隠していた頃の自分は、見つかることを警戒していた。
けれど顔を出してみると、
見つけてもらうことにも意味がある
と思うようになった。
何もかも公開すればいいとは思わない。
人には、人に見せない方がいい部分もある。
けれど、必要以上に隠して生きる必要もない。
60歳を前にして、自分は少しずつ、「人からどう見られるか」よりも、
「残りの人生で、自分は何をやってみたいのか」
を考えるようになっていた。
そして、その頃。
40年近く続けてきた会社員生活にも、本当に終わりが近づいていた。
14
2025 —
会社員を終える
顔を出して発信するようになった頃、自分の会社員生活にも終わりが近づいていた。
18歳で社会に出てから、ほぼずっと技術の仕事をしてきた。
若い頃から「一生この仕事を続けよう」と決めていたわけではない。それでも気がつけば、40年近く技術の世界で働いていた。
ロト6で3億2千万円が当たったあとも、会社を辞めなかった。
その後、店を閉じたり、お金を失ったり、思いどおりにならないことを経験する中で、毎月給料が入り、働く場所があるということが、自分を支えていた。
当たり前すぎて、働いている間にはあまり意識しなかった。
けれど振り返れば、
会社員という立場は、自分にとって最後まで残った大きな保険だった。
そして2025年。
定年を迎えた。
会社へ行く必要がなくなった。
毎月決まって入っていた給料もなくなった。
40年近く当たり前だった、
「月曜日になれば会社へ行く」
という生活が終わった。
不思議だった。
ロト6が当たった翌日も、自分は自分だった。
会社員を終えた翌日も、やはり自分は自分だった。
ただ一つ違ったのは、これから先の時間を、会社が決めてくれることはもうないということだった。
何をするのか。どこへ行くのか。これから何を仕事にするのか。
その答えは、まだ決まっていなかった。
だから、とりあえず動いてみることにした。
YouTubeを続け、文章を書き、そして60歳になってから職業訓練校にも通い始めた。
昔なら想像もしなかった生活だった。
ただ、この先どう生きるのかについては、まだ答えを出す必要はないと思っている。
会社員という長い章が終わった。
ここから先は、まだ書かれていない。
60 / NEW CHAPTER
長い会社員生活が終わっても、人生そのものが終わるわけではない。
15
この先の年表は、
まだ空白だ。
会社員を終えたあと、急に新しい人生が始まったわけではない。
定年になった翌朝も、特別なことは起きなかった。
ただ、それまで当たり前だった「会社へ行く」という予定がなくなった。
時間だけが、自分の前に残った。
そこで、以前から続けていたYouTubeや文章を書くことを続けながら、これまでやったことのないことにも少しずつ手を出すようになった。
60歳になってから職業訓練校へ通い、Webデザインを学び始めた。
周りには自分よりずっと若い人もいる。
PhotoshopやIllustrator、HTML、CSS。
長く技術者として働いてきた自分にとっても、知らないことばかりだった。
一方で、YouTubeを続けていると、思うようにいかないことも多い。
20年前、誰にも言えないことを何気なく書いたブログは、本になり、テレビドラマにまでなった。
ところが今は、時間をかけて動画を作っても、期待したほど見てもらえないことがある。
人生はやはり不思議だと思う。
一生懸命やったから、必ず結果が出るわけではない。
逆に、肩の力を抜いて始めたことが、思いもしなかった場所まで連れていってくれることもある。
だから今は、昔ほど、
「これをやれば、こうなる」
とは考えなくなった。
日本にいることもある。
タイにいることもある。
動画を作ることもあれば、文章を書くこともある。
新しいことを学んでいる日もある。
まだ、それらがどこにつながるのかは分からない。
けれど、それでいいのだと思う。
子どもの頃に電子工作をしていた自分も、18歳で技術の世界へ入った自分も、1999年に初めてタイへ行った自分も、ロト6で3億2千万円が当たった自分も、その先に何が起きるのかなんて知らなかった。
それでも、その時々で何かを選んできた。
そして気がつけば、60歳になっていた。
振り返れば、人生にはいろいろな出来事があった。
けれど、ここから先について書けることは、まだほとんどない。
なぜなら、
この先の年表は、まだ空白だからだ。
60歳から何をするのか。
どこで暮らすのか。
何を大切にするのか。
その答えは、これから少しずつ決まっていく。
そして、その続きを考え、記録していく場所が、
PROJECT LIFE VALUE
である。
FROM STORY TO PROJECT
ここから先を、
どう生きるか。
ここまでが、久慈六郎のSTORY。
60歳から何を選び、何を大切にして生きるのか。
その続きを考えていくのが、PROJECT LIFE VALUEです。