STORY 01

人生を変えたのは、
出来事ではなく、
そのあとの選択だった。

子どもの頃に夢中になった電子工作。
学校を途中で辞め、技術の世界で働き始めたこと。
仕事に疲れ、旅へ出るようになったこと。
そして、1999年に出会ったタイ。

3億2千万円が当たるより前にも、
今の自分につながる小さな選択はいくつもあった。

振り返れば、人生をつくってきたのは、
大きな出来事そのものではなく、
そのあと何を考え、何を選んだかだった。

BEFORE 2005

モールス信号を送るために無線機を操作する手元のイメージ

01

作ることが好きだった少年

子どもの頃から、機械の中がどうなっているのかを見るのが好きだった。

近所の電器店から使わなくなったテレビをもらってきては、裏蓋を開け、はんだごてを手に基板から部品を取り外す。

それを何に使うのか、明確な目的があったわけではない。

ただ、目の前にあるものを分解して、仕組みを知ることがおもしろかった。

やがて興味はラジオへ向かった。

BCLラジオで海外の放送を聞き、受信報告書を送り、届いたベリカードを集めた。高校生になる頃にはアマチュア無線に夢中になり、自分でアンテナを作り、無線機を持って山へ登ることもあった。

今振り返ると、あの頃からずっと同じなのかもしれない。

「これは、どうやってできているんだろう」

完成したものを眺めるより、そう考える方が好きだった。

それが将来、技術の世界で40年近く働くことにつながるなど、その頃の自分はもちろん知らなかった。

ただ、人生の最初の小さな種は、すでにそこにあった。

02

自由になりたかった学生時代

高校時代、学校が終わるとレストランでアルバイトをしていた。

厨房に入り、ホールにも出た。クリームパフェを作ったり、コーヒーを淹れたりすることも覚えた。

機械や無線が好きだった一方で、飲食店で働くことも好きだった。

高校を卒業すると、好きだった電波の世界を学ぶため、名古屋電機通信工学院の電波工学科へ進んだ。

新聞奨学生になり、新聞店に住み込みながら学校へ通った。

親元を離れ、一人で暮らす。

大変な生活だったはずなのに、それ以上に嬉しかったのは、

「自由になった」

という感覚だった。

ところが、その自由を勉強に使ったかというと、そうでもない。

朝早くから新聞を配り、学校へ行けば眠くなって授業中に寝てしまう。土曜日になればDISCOへ行き、女の子を追いかけていた。

今思えば、ずいぶん呑気な学生だった。

そんな生活の中で、休みの日には名古屋・金山にあった喫茶店「バイオレット」でアルバイトをしていた。

そこで働いていた店長は、自分より8歳上。当時26歳だった。

その人がよく熱く語っていた。

「今は雇われ店長だけど、いつか独立して成功するんだ。」

18歳の自分には、その言葉が格好よく聞こえた。

考えてみれば、あの頃は身近なところにも、「いつか自分の店を持つ」「いつか独立する」と話す人が結構いたように思う。

今より景気がよかったからなのか、時代そのものに勢いがあったからなのか。少なくとも若かった自分には、会社に入ってずっと働く人生よりも、いつか自分で何かをやる人生の方が魅力的に見えていた。

高校時代のレストラン。そして専門学校時代の喫茶店。

その経験から、

「自分も喫茶店をやってみたい」

と思うようになった。

一歳年上で、すでに社会人になっていた彼女の存在もあった。彼女は働いている。自分は学校へ通いながら、どこか中途半端な毎日を送っている。

そんな自分が、少し格好悪く思えた。

結局、専門学校は一年で辞めた。

飲食の世界へ進み、自分の店を持ちたい。そんな気持ちもあった。

ところが、それを親に話すと反対された。

そして結局、自分が進むことになったのは、子どもの頃から好きだった技術の世界だった。

あのときは、自分の希望とは少し違う道を選んだつもりだった。

けれど40年近く経った今なら思う。

結果オーライだった、と。

人生は、そのとき望んだ道へ進めなかったからといって、必ずしも間違った道へ進むわけではない。

むしろ、思いどおりにならなかった選択が、あとになって自分を支える道になることもある。

03

技術で食べていく

飲食の道へ進みたいという気持ちはあった。

けれど親に反対され、結局、自分が選んだのは技術の世界だった。

専門学校を辞めた以上、まずは働かなければならない。

今ならスマートフォンを開けば、求人情報はいくらでも出てくる。けれど当時、仕事を探すときに手にしたのは、100円ほどで売られていた分厚い就職情報誌だった。

ページをめくりながら、

「ここなら自分にもできるかな」

そんな感覚で働き口を探した。

そして入ったのが、社員8人ほどの小さな会社だった。

最初から「40年エンジニアとして生きていこう」などと考えていたわけではない。むしろ、目の前にある仕事を覚えることで精いっぱいだった。

図面を読み、部品を考え、失敗し、先輩に教えられ、またやり直す。

学校では寝てばかりいた自分が、社会に出てからは技術を覚えるために必死になった。

そんな頃、耳にした言葉がある。

「技術は人を裏切らない。」

若かった自分には、その言葉の本当の意味までは分からなかった。

技術があれば食べていける。その程度に受け取っていたのかもしれない。

けれど、その後も設計の仕事を続け、気がつけば約40年が経った。

会社や立場は変わる。景気も変わる。必要とされる仕事も変わっていく。

それでも、自分の中に積み重ねてきた経験や技術まで、突然なくなることはなかった。

60歳になった今でも、働こうと思えば、エンジニアとして自分を必要としてくれる場所がある。

それは、当たり前のことではないと思う。

40年前に聞いた、

「技術は人を裏切らない。」

という言葉を、今になってようやく実感している。

もしあのとき、希望どおり喫茶店の世界へ進んでいたら、また違う人生になっていただろう。

どちらが正解だったのかは分からない。

ただ、当時は仕方なく選んだように思えた道が、結果として長い人生を支える土台になった。

人生には、その瞬間には価値が分からない選択もある。

その答えが見えてくるまでに、40年かかることだってある。

04

旅が、息をつく場所だった

技術を身につけ、仕事を覚え、社会人として働く毎日が続いた。

仕事が嫌いだったわけではない。むしろ、技術を覚え、自分にできることが増えていくのは嬉しかった。

けれど、働いていれば当然、いいことばかりではない。

仕事がうまくいかないこともある。人間関係に疲れることもある。朝起きても、どうしても会社へ行く気になれない日だってあった。

今なら、心が疲れたときに休むことへの理解も、昔よりずっと広がっている。

けれど、自分が若かった頃は少し違った。

「働かざる者、食うべからず」

そんな空気が、今よりずっと強かったように思う。

仕事へ行きたくないと言えば、「何を甘えているんだ」。家でゴロゴロしていれば、「何を怠けているんだ」。

そんなふうに見られることが怖かった。

だから、疲れていても会社へ行く。嫌なことがあっても、とりあえず働く。

心の調子が悪いから少し休もう、という発想そのものが、自分の中にもあまりなかった。

結局、ストレスは自分で何とかするしかないと思っていた。

酒を飲む人もいれば、パチンコへ行く人もいる。趣味に没頭する人もいる。

自分の場合、そのはけ口になったのが旅だった。

知らない街へ行く。

普段とは違う景色を見る。

電車や飛行機に乗り、いつもの生活圏から離れる。

ほんの数日でも、会社や仕事から距離を置くと、不思議と気持ちが軽くなった。

問題が解決したわけではない。帰れば、また同じ仕事が待っている。

それでも旅に出ている間だけは、

「会社員ではない自分」に戻れるような気がした。

今振り返ると、自分にとって旅は娯楽だけではなかったのだと思う。

働き続けるために、いったん日常から離れる。

息が詰まりそうになったら、知らない場所へ行って呼吸を整える。

そんな、自分なりのリセット方法だった。

そして旅を続ける中で、1999年。

自分の人生に、その後長く関わることになる場所と出会った。

タイランドだった。

タイの街の混雑と熱気を表現したイメージ

1999 / THAILAND

旅の途中で出会った場所が、やがて人生の一部になっていく。

05

1999 — タイランド

会社員として働いていた頃、自分には年に三度、まとまった休みがあった。

ゴールデンウィーク、お盆休み、そして年末年始。

いわゆる「トヨタカレンダー」で、普段は祝日が少ない代わりに、長い連休が取れる。

旅がストレスを解消する方法になっていた自分にとって、この休みはありがたかった。

タイへ行く前にも、一人で海外を旅している。

アメリカ東海岸では、グレイハウンドバスを使ってニューヨークからボストンへ行き、バッファローからナイアガラフォールズ、ワシントンD.C.を回って、再びニューヨークへ戻った。

英語が得意だったわけでもない。

それでも、一人でバスに乗り、知らない街へ行き、宿を探す。

最初は不安だったはずなのに、旅を続けているうちに、

「一人でも、意外と何とかなるものだ」

と思うようになった。

翌年にはインドへ行った。

バラナシ、ジャイプル、アグラ、デリー。

アメリカとは、まるで違う世界だった。

街を歩けば、人も、音も、匂いも、日本とは違う。日本では当たり前だと思っていたことが、海外へ行けばまったく通用しない。

それがおもしろかった。

そして1999年、初めてタイへ行った。

アメリカとも違う。インドとも違う。

ところが不思議なことに、タイでは最初から妙な居心地の良さを感じた。

「なんだか、ここは楽だな」

そんな感じだったと思う。

バンコクの道路は激しく渋滞している。人は多い。暑い。屋台の匂い、排気ガス、騒音。街全体がごちゃごちゃしている。

普通なら疲れそうなものなのに、自分にはその景色さえ面白く見えた。

それまで行った国と比べれば治安にも安心感があり、物価も安かった。

そして何より、人との距離が近かった。

タイの女の子はよく笑う。その笑顔も可愛く見えた。

もちろん、今振り返れば、そんなにきれいな話ばかりではなかったと思う。

日本人男性を「お金を持っている外国人」として見る女性もいただろうし、日本人男性の側にも女性との出会いを期待する気持ちがあった。

お互いに多少の下心を持って近づく。

自分だって例外ではない。

でも、その下心まで含めて、人との距離が妙に近い。

アメリカやインドを旅したときには感じなかった感覚だった。

それも含めて、自分にはタイが居心地よく感じられたのだと思う。

そして帰国してから、もう一つ面白いことが起きた。

タイで買ってきた雑貨や土産物を、当時広がり始めていたインターネットオークションへ出品してみた。

すると、面白いように売れた。

一つ売れる。また一つ売れる。

気がつけば、タイまでの飛行機代くらいは回収できていた。

旅行へ行って、好きなものを買って帰ってきた。それを日本で売ったら、次の旅行代になってしまう。

これは面白かった。

そして、ふと思った。

「これ、商売になるんじゃないか?」

それまでストレスから離れる場所だった旅が、少し違うものに見え始めた。

タイはこの頃から、ただの旅行先ではなくなっていった。

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